昨日は主宰するケアルーム「つむぎの森」の誕生日。
あの日、小さな種を蒔きました。
多様な命の存在が柔らかに微笑み合い、認め合い、触れ合い、内なる愛の感覚を育み、紡ぎ合う森ができるようにと願い「つむぎの森」と名付けました。
当時、おそらくこの名前は世界に一つしかありませんでした。
たくさんの出会いがありました。良いことも、挑戦だと感じることもありました。その一つ一つが、種を育てる栄養になりました。18年を迎える今、木漏れ日のさす心地よい森になっているといいな、と思います。
未知のウイルスに行動や身体的な接触を制限され、海の向こうでは、戦争が始まりました。
インターネットで近くなった世界はお互いを認め合い尊重する世界を生み出していると思っていたのですが、それは幻だったのだ、人はかくも残酷である、という証明をされているかのような現実に、深い憤りと悲しみを感じていました。
桜の季節、出会いと別れの記憶が複雑に混じり合うこの時期、私たちに何ができるのか、突きつけられているようです。
そしてその感覚は、戦争というはっきりした対象でなくても、日々接する社会でも感じていることかもしれません。
今日は、つながりの再確認と、自分自身の身体との対話を通して心をケアするオンラインの会「愛とともに触れるラヴィングタッチケアと愛の種の瞑想会」を開きました。
手の感覚を目覚めさせるタッチ、身体と心のつながりを再構築するタッチケア。
「包む」という文字の語源から辿り、愛の種を植えました。
いつか、この種がそれぞれの内なる庭で芽を出し、伸びやかに大地を覆い、花を咲かせ、森となりますように。
10年後、今日ご一緒した皆様と、愛の種のシェア会を開きたいな。
きっとその時は、新しい価値観、人を思いやり、尊重し、愛の力を疑わない世界になっていることでしょう。
わたしたちがあきらめなければ、きっと。