東京のオット宅に9日間ほど滞在してつくづく思ったこと。
鏡って大切。
相手は自分の鏡、起きていることはすべて自分の心、
とてつもなく邪悪な人がいるのもわたしの心が生み出したもの。
だから、ここで我慢するんです、
という方がクライアントとしてこられることがよくあります。

あちこちで言われてきたのですよね。
あなたの心が生み出してるんですよ、
鏡だからしっかり見つめなさいと。

わたしも、若かりしころは二元的な意味でそんな言葉を自分にもかけていたし、
相手にも求めていたように思います。

余計に追い詰められてどこへも、もういけなくなる。
ここから動けなくなる。袋小路に入り、
その心がまたさらに強力な「本当の私を写す鏡」を生み出す悪循環。
ヒビだらけかもしれないのに。

でも、その鏡、ほんとうに必要ですか?

心理学をまた一から学びなおした何年間、
何千時間って勉強したわりにはあまり身についていないかもしれませんが、
ひとつだけわかったこと。

「人はなにもみていない」
「わたしたちの目は、脳は、見たいものしか見ない、見えない」こと。

鏡が歪んでいても、鼻のとんでもない毛穴だけを
大きくデフォルメして映し出す鏡であっても、
真実のわたしではないことに、気づきもしないということ。

東京のオットの家の鏡に映るわたしは、
「ぜんぜんいけてない」ので、なんか自信がでてこない。

東京で出会ったみなさん、わたしが少し伏し目がちに見えたら、
実は鏡のせいだったんです!

でもわたしを伏し目がちにさせる鏡は「真実」の鏡なのかなあ、
と考えながら大阪の我が家に戻ると、
洗面台の鏡はライティングの力も相まって、
とても自然体でわたしの好きな心地よいわたしがそこにいる。

毛穴もシワもシミも、
そんなにクリアに映し出さないけれど、
目の光やツヤツヤと光る(テカる⁉︎)肌を映し出してくれる。

「ええやん、いけてるやん」と自分だけは安心していると、
心が落ち着き、周りにも親切にできる。

世界はもちろん鏡なのですが、合わない鏡は取り替えてもいい。

あまりにも辛い現実だけをこれでもか、と
映し出してくる鏡からは一旦離れて、
鏡を持たない時間を過ごしてもいい。

とびっきり綺麗に見せてくれる鏡の前で微笑んでいてもいい。

嘆き悲しむには長すぎる人生を、
嫌なところばかりをデフォルメする鏡はいらない
、と決心してから、世界が広がり、美しさに気づくようになりました。
鏡ってほんと、大切!
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