丹後一宮籠神社のお姫様
眞名井御前が開祖と伝わる武庫山神呪寺へ。
今日は年に一日だけの、
空海が眞井御前をモデルに自ら彫り上げたといわれる如意輪観音さまのご開帳法会。
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空海について並々ならぬ興味をもって、
書を書き、ゆかりのお寺や修行地を訪れているわたしにとって、
この日の御開帳法会は大切な日でした。
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この日のために、先月は空海と眞名井御前が出会った六角堂へ、
また東寺を訪れていたのです。

籠神社から京都へ10歳の時修行にでてきて、
淳和天皇の第4妃として迎えられたそう。

神呪寺は神戸の甲山の中腹に立つお寺。

眞井御前と空海のロマンスも真偽のほどはいまとなってはわかりませんが
興味を掻き立てられます。
たとえばこちらのブログでは
「空海と真井御前」
http://ameblo.jp/the-art-of-living/entry-10421148666.html

10歳のときに京へ出きた真井御前は
京都の頂法寺六角堂 に入り、
本尊の如意輪観音に帰依して修行に励んでいる時に空海に出会ったというのです。

・・・・・・・ここから引用・・・・・
海人系・空海と丹後の姫真名井御前宿命の愛

  記事の作者は古代史研究家の月海千峰氏である。なんと事もあろ
  うに、あの甲山(かぶとやま)の神呪寺(かんのうじ)の開基、真井御
  前厳子(まないごぜんいつこ)が空海と「愛人関係であったと言われ
  ています」と書かれていた。
 
  それによると、空海は京都の頂法寺六角堂で修行中の厳子と最初
  に出会った。年令は二十九も離れてはいたが、空海は由緒のある
  海部家(あまべけ)の姫厳子を敬愛し、厳子も有名な空海に関心と
  尊敬をいだき、お互いに惹かれあっていった。そして遂に丹後元伊
  勢に伝わる「潮満の玉」を厳子は空海に預けた。
  
  やがて、淳和帝の妃として
  宮中に入った厳子を六年後、甲山に逃がしたのは空海であった。その
  後の再三の淳和帝から厳子に対する呼び戻しの要請を避けるため
  に、空海は厳子に破格の阿闍梨灌頂(あじゃりかんじょう)を授けて
  仏門のもとに保護した。そして空海は厳子をモデルに如意輪観音
  像を彫る。それはまるで燃えあがる愛情のすべてをその像の中に
  凝縮させて厳子に捧げ尽くしたようだった。その四年後、空海は六十
  二才の三月二十日入定する。その一日前、厳子は高野山に向かっ
  て合掌し、如意輪真言を唱えながら息絶える。三十三才の短い命で
  あった。「空海を思慕する覚悟の自殺でしょうか? あるいは厳子の
  死を追って空海が入定したのでしょうか? 共に生きられなかった
  二人は、共に死ぬことで愛を完結したようです」とこの記事は結ばれ
  ている。



本堂に着いたらちょうど法要が営まれるところで、
ご一緒くださった有紀子さんのおかげで、
お坊さまのすぐ横の特等席で法要に参加することができました(๑˃̵ᴗ˂̵)

観音様の真正面、なんて優しいお顔。


1時間40分たっぷり、
13人の僧侶が正装で本堂の秘仏を囲み、
理趣経の読経をしてくださいました。
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空海が最後のさとりを開いた眞名井御前との親密な縁について想いを馳せ、
わたしの時間と身体と宇宙がぐるぐる回るような心地のよい時間でした!

はるか宇宙の永遠を旅したような、現実感のないふわふわしたからだで
お堂を後にすると、
絶景が広がっていました(^^♪ 空が青い〜♪

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