人を目に見える部分や機能の集まり、と見るのではなく、
全体性やつながりを重視して
こころ、からだ、いのちの観点から治療や施術を行なう医師や治療家仲間と、
先日食事をしました。

解剖実習での経験を少し話し出すと、
ある医師が自分は解剖が嫌いだった。

尊敬する◯◯医師も、
「解剖は徹底的に、ひとは物質なんだ、と医学部生に叩き込むものだ」とおっしゃっていた、
と顔を曇らせました。

詳しく伺うと、確かにそのような意図で学生たちに指導することも可能なんだ、
そして、その意図を汲み取った学生たちの振る舞いを
心から残念に思っていらしたことが伝わりました。
あんまりなので、ここでは書けません(>_<)

わたしはとても幸せな解剖実習に参加させていただいたんだ、と
その医師の医学部時代の思い出を伺いながら思いました。

今回のアリゾナの解剖実習のコースはその成り立ちから特別なものでした。

本来、医療に携わる方への解剖実習をセラピストであるわたしも
実習に参加できたのですから。

どれだけの準備、思い、話し合いや信頼関係が必要だったろう。

これまで、何百という講座やフォーラムやシンポジウムに携わってきましたから、
ひとつの講座やプログラムを企画し、
告知し、集客し、会計し、テキストを手配し、
一人一人に目を配り、
そのプログラムを高いレベルで維持するための裏方をよく知っています。
そうまでしても、この貴重な機会を実現してくださった
スタッフのみなさんの想いに打たれます。

今回の解剖実習で何度も何度も再確認したのは、
からだのつながり、
全体性への理解でした。

指導してくださるTodd先生は、
寡黙でしたがその振る舞いのどの細部にも、
ご献体くださったかけがえのないおからだへの尊敬の念と敬意を、
いつもいつも表しておられました。

ひとは部分の集まり以上の、
多様性と個別生をそなえた聖なる存在でした。

チームのみんな、参加された55人みんな、
スタッフやアシスタントのみなさんがそれぞれの表現方法で、
ご献体のかたへ深い感謝と敬意を抱き、解剖に向き合っていました。

1日の解剖実習が終わり、ホテルの部屋に戻ると、
見ず知らずのわたしたちにその生き方のすべてを明らかにし、
この手に委ねてくださったご献体やご家族の無償の愛に打たれ、
これまで経験したことのない圧倒的な感情の波の中で涙を流しました。

woodyさん(ご献体)へ、
委ねてくださった想いを必ず活かしていきます、と
語りながらの解剖でした。
やさしく腕に触れ、頭を撫で、
そうっと持ち上げ、大切に大切におからだを包みました。
こんな表現が適切なのかわかりませんが
woodyさんとの一生忘れられない5日間を共にしたのです。

知っていたけど、わたしのからだで感じてきたことだけれど、
「ひとは部分の集まり、物質だ。」とは真逆の
深い深い確信を得ています(*^_^*)